お互いの言っていることは理解できるものの、流通している言葉に遣いがある朝鮮半島の北と南。
また、それぞれの市井の生活様式の違いを垣間見ることもできて楽しめるのが、韓国ドラマ「愛の不時着」。
ソウルに住むセリが、北に不時着するところから物語は始まる。
数々のトラブルに巻き込まれながらも、ジョンヒョクたちの助けを得て、なんとか無事に南に戻ることのできたセリ。
停電の心配もなく、夜中の宿泊検閲もない。
脚を伸ばせる広いバスタブで、美味しいお酒を堪能しながらの優雅な入浴。
大きくてフカフカのベット。
南での裕福な生活を取り戻したものの、何かが足りないと感じる。
そんなセリの、とある寝付けない夜の、心の模様。
愛とは何だろうと考えてみる
【愛の不時着】第10話より
私があなたに会いたいと願っているように
あなたにも願ってほしいと思ったなら
それが愛だろうか
あるいは私に会いたいなんて気持ちがわかないほど
幸せでいてほしいと願ったなら
それが愛だろうか
それとも
あなたに会うためなら
あの出来事を最初からもう一度繰り返しても
かまわないと思えたら
それが愛だろうか
「愛とは何か」、それは何の見返りがなくてもその相手のことを、ただひたすら心配して幸せを祈ることなのかな。
そんなことを考えているうちに、ふと思い出した言葉。
「誰を好きかより、誰といるときの自分が好きか」
いかに自然体の自分でいられるか、そしてそんな自分を認めてくれる存在。
そんな人に出会えたなら、それだけでも幸運。
以前、女優の蒼井優さんがどこかでこのようなことを語っていたのですが、
「そうだよね。。。」と、妙に納得してしまうのでした。